My Life in Geneva

ジュネーブ滞在の記録(2024年4月~2025年3月)

20 mar, jeudi

出発当日!6時に起きてシャワーを浴びて、8時に友だちに会って不要品を引き取ってもらった。捨てるのには忍びないものとか、捨てるのが難しいもの(鍋とか)だ。現地校の次女のクラスメイトのお母さんである彼女には、本当にたくさん助けてもらった。近くに親切な友達がいることがすごくありがたかった。彼女とご家族を訪ねて、いつか韓国に行きたいと思う。

そして、家の片付けの最終仕上げ!11時にアパートの人が鍵の受け取りに来る予定だったので、それまでになんとか頑張って、来た当初のアパートの姿に戻した。一年でたくさん荷物が増えていつも雑然としていたけど、こうやって何もなくなってみれば結構雰囲気のよいアパートなのかもしれないと思った。ボロ屋だけど。

 

Our apartment

アパートのチェックが済み、11:40に予約したタクシーで空港へ。空港へはバス一本で行けるのだけど、ヘビー級の特大スーツケースとたくさんの手荷物を持って子連れでのバス移動は大変過ぎたので、高いけどタクシーを呼んだ。タクシーを待っている間にランチタイムとなり、学校から子どもたちが出てきた。長女のクラスメートが集まって、長女と次女の名前をコールしてくれた。最後に熱烈に送り出してもらって彼女たちも嬉しそうだった。フランス語がわからない異国からきた子たちに優しくしてくれて、みんなありがとう。

空港での荷物預け入れはドキドキする。日本出国時がとにかく大変だったので。でも今回はすんなりいった。機内持ち込み荷物の重量もチェックされなかった(ありがたい)。ただ、預け入れ荷物の重量オーバーはしっかり確認されていたようで、追加で108スイスフランを支払った。それからマクドナルドとタイ料理のランチを食べて搭乗口へ。ここでの不味くて高い外食とはおさらばだ!こと食に関しては1年間だから我慢できたけど、これが何年も続くとしたら私には耐えられないと思う。

ドバイを経由して大阪へ出発。とにかく荷造りと片付けが大変過ぎたのでずっとドキドキしていたけど、セキュリティチェックとパスポートコントロールが終わったら、やっとここを離れるということの実感が湧いてきた。高い山々に囲まれた大きな湖のあるこの土地で、私も家族もたくさんの経験ができて良かった。とにかく、最初から最後まで全力で駆け抜けた一年だった。またここに戻ってきたいと思う。

とりあえず、ここに記すブログは今日で終了にしたいと思う。日本に帰国した後のことはNamie’s diaryに書いていくことにする。

19 mar, mercredi

今日は帰国前日、実質的な最終日だ。6時に起きて荷造りに励んだ。とにかくスーツケースに荷物を詰め込み、部屋を全て片付けなければならない。荷物を全部持って帰ることはできないので、取捨選択が必要だ。

9時半にアポイントメントがあったので、荷造りを中断して大学へ。まずはオフィスメートに挨拶した。彼女たちとホスト教授のチームからプレゼントをいただいた。最後まで気にかけてもらえてありがたい。とても良い天気だったので、ベランダに出て記念撮影をした。私は水曜日と週末以外はほぼ毎日オフィスに来て仕事をしていたので、ここで仕事をしたり彼女たちに会えなくなるのはとても寂しい。

 

My desk

10時からはここで仲良くなった院生さんと一緒に最後のお茶をした。いわゆる社会人学生である彼女には様々な経験があり、いろんなことを教えてもらえるのでおしゃべりが楽しい。大学のオフィスの階が社会学部の階とは違っていたので、ファカルティや院生と顔を合わせる機会がとても少なかったのは残念だった。オフィスをもらえるだけでありがたいのだけど。それでも、大学で彼女と友だちになれたのはよかった。この縁を繋いでいきたい。

それから帰宅して荷造りを再開した。ランチを食べて長女が日本語補習校に行った後は、友だちが炊飯器を受け取りに来てくれた。彼女とは4月のウェルカムイベントで出会い、彼女の出産を経て最近はよく会う日が続いていた。おしゃべりをたくさん楽しんだし、彼女の心地よいアパートメントにもよくお邪魔した。彼女とも頻繁に会えなくなるのは寂しいけど、彼女が日本に帰ったらまた会いたい。

それから、次女を補習校まで送っていった。最終日だというのにトラムが来なくて少し遅刻してしまった。次女を送り届けた後はママ友たちとカフェで最後のおしゃべり。スイス土産のプレゼントをいただいた。1年間だったけど、毎週のようにおしゃべりをして一緒に遊んだりもしたので、みんなと仲良くなれてよかった。いろんな話をして、ジュネーヴやフランスでの暮らしのことを教えてもらった。立場はそれぞれだけど、家事や子育ての悩みは共通している。日本でこのような機会に恵まれたことはなかったので貴重な時間だった。友情に感謝したい。

そして学校に移動して、次女のクラスの終業式に参加した。校長先生と担任の先生のお話を聞いて、子どもたちは歌を披露してくれた。次女も一生懸命に歌った。ここ補習校では、ひらがなや日本語表現などを学び、工作も毎週楽しんだ。これは長女もそうなのだけど、週4回は現地校でフランス語漬けの日々を過ごしているので、週一回は母語で本領を発揮できる機会があって本当に良かったと思う。長女は2年生で習うべき漢字や算数を学べたので、日本でもスムーズに3年生に移行できると思う。次女は小学校のよい導入になったと思う。欠席ゼロで登校できたのも良かった。自信になったと思う。クラスのお友達のためにプレゼントを用意していたので、それを渡した。また、娘たちや私にプレゼントやお手紙をもらったので嬉しかった。

帰り道ではいつものようにプレンパレで遊んだ。補習校の友だちのママさんたちと日本のご飯の話で盛り上がった。長女は帰国したらまずオクラが食べたいのだそう。確かに日本の野菜は美味しい。何が食べたいとか何が美味しいとか、そういう話題でいつも盛り上がれる。在外邦人のあるあるだ。

そして帰宅して、最後のディナーを家で食べてから荷造りの最終仕上げ!とにかくスーツケースを閉じてなんとか最後の決断をしなければならない。たくさんのものを捨てた。本当は全部持って帰りたいけど、重さ制限があるので仕方ない。服もだいぶ捨てた。もったいないなあとは思うけど、荷物を減らすためにはこういった強制断捨離も必要なのだと思う。寝たのは1時だった。

Family trip to Paris, day 3 (18 mar, merdi)

パリ旅行の最終日。昨日は寒い中でのディズニーで疲れていたので、朝はゆっくりめにスタートした。ホテルで朝食を済ませてからパリ市内に向かった。まずはノートルダム大聖堂。5年前の火事からの復旧工事がやっと終わったところで、ぜひ行きたいと思っていた。ここも混んでいたけど、少しだけ並んですぐに入ることができた。内部の装飾、ステンドグラスなどを楽しんだ。

それから地下鉄でモンマルトルに移動した。地下鉄の駅から坂や階段を登り、サクレ・クール寺院を横切ってからテアトル広場へ。たくさんのお土産屋やカフェ、レストランが並んでいた。娘たちには小さくて軽いお土産を買ってあげた。それから、個性的でおしゃれなお店を覗きつつ、坂を下っていった。私はネコのピアスを購入した。そんなには多くは買わなかったけど、いろんなショップを見て回るのが面白かった。ただ、ジュネーブと比較してもパリの道はごみがいっぱいでとても汚かった。

観光名所であるジュテームの壁を見に行った。写真を撮ってから、娘たちはその近くの公園で遊んだ。彼女たちは公園を見つけるとすぐに駆けていって、気づけば遊んでいる。今日は昨日と比較しても暖かかったので、公園日和だった。少し遊んでから、メトロでアベス駅からリヨン駅に戻った。駅でトイレや買い物をしていたら時間がなくなってしまい、電車に乗れたのは出発直前だった。しかも電車が少し遅れたのでジュネーヴに到着したのは10時を過ぎていた。眠い次女が不機嫌で困ったけど、なんとかアパートに到着。私は帰国のための荷造りが気になるのだけど、明日にかけることにしてその日は眠りについた。

Family trip to Paris, day 2 (17 mar, lundi)

今日はパリのディズニーランドを楽しむ日だ。ホテルで朝食を食べてから、シャトルバスでディズニーランドまで向かった。到着したのはちょうど開演時間の9:30だった。月曜日だけどたくさんの人がいた。

入場して、まずはオーロラ姫のお城を通り過ぎてファンタジーランドへ。アリスの迷路、イッツアスモールワールド、トレインのアトラクションを楽しんだ。この日は晴れていたけど、風もあって寒かった。お昼を外では食べたくなかったので、屋内フードコートに向かった。12時前に入ったので、それほど混むことなく食事をとることができた。高くて不味いけどしょうがない。

ランチの後はディズニーパークの端からスタジオに向かうことに。アドベンチャーランドの中を進んだ。途中でパイレーツオブカリビアンのアトラクションに乗った。そこそこスリルがあって、長女は楽しんだが次女は怖かったようだ。

それから公園で遊び、お土産屋を通ってからスタジオに着いた。スタジオでは、まずはレミーのレストランのアトラクションを目指した。それほど混んではなくてすぐに乗れたのだけど、なんと途中でマシントラブルがあって止まってしまった。乗り物から降ろされて出口に向かうことに。それからおやつを食べ、カーズのアトラクションなどに乗り、最後にどうかと思ってレミーを覗いたら再開していた!ということで最後にレミーのアトラクションを楽しむことができた。パリディズニーの名物?だけのことはあって、なかなか凝ったアトラクションだった。ネズミの目になって物語を体験するのだけど、追いかけられたり水をかけられたりするシーンでは特殊効果が使われていて、臨場感があった。また、最後に料理が出来上がるシーンでは、アトラクションに隣接するレストランの料理の香りがふわっと漂ってきた。それにアトラクションの終着点はレストランになっていた。なるほどよく考えられたアトラクションなのだと感心した。

それからお土産を買ってホテルに帰った。パリは東京ほどではないというが、とにかく待ち時間が長い。アトラクションに乗るのは一瞬なのに。それに待ち時間には必ずと言っていいほど娘たちが小競り合いをするので、さらに疲れる。パリのディズニーランドに行くのはこれが最後であると思う。そう思って、今日は一日家族サービスを頑張った。夕食はホテルで、いつものブッフェだ。今日もサラダをたくさん食べて美味しいワインを飲んだ。

Family trip to Paris, day 1 (16 mar, dimanche)

今日から2泊3日で、パリへ家族旅行だ。みんなで朝早く起きて、電車でパリに向かった。電車の中ではiPadを見過ぎだ長女が酔ってしまったが、なんとかお昼にはパリのリヨン駅に到着。その後、地下鉄でルーブル美術館方面に向かい、美術館に行く前にその周辺でランチを食べた。入ったレストランは観光客に人気のお店のようで、美味しかった。三品(ペンネパスタ、ローストチキン、白身魚)とジュースとワインを頼んで84ユーロだった。

美術館に着くとその前は長蛇の列だった。事前にチケットを予約していなかったので、急遽、14:30からのチケットを購入することに。オンラインでチケットを購入できたのだけど、電波が弱いし購入サイトの問題もあって、なかなかチケットがメールで届かなくて焦った。子どもたちは大騒ぎするし夫はキレるし大変だった。

なんとか入場したが、館内にはたくさんの観光客がいた。さすが世界の三大美術館だ。混雑する中でミロのビーナスとかモナリザとかの有名な作品を見たのだけど、次女が人混みで疲れてしまった。なのでパパと長女とは分かれて、私は次女とゆっくり館内を楽しむことにした。有名な作品だけを急いで見て回るより、自分のペースで、目に留まった作品をゆっくり鑑賞する方が私も次女も楽しい。思うがままにイタリアの古代の陶器やフランスの絵画や王冠、ティアラなどを楽しんだ。次女も「この絵は何を表現しているのだろう」と、彼女なりにいろいろと考えながらこの巨大美術館を楽しんだようだ。

それから駅まで少し歩いて、Aラインの電車でパリディズニーの近くのホテルに移動した。夕食はいつものようにホテルのブッフェでいただいた。サラダの種類がたくさんあるので嬉しかった。

15 mar, samedi

今日は一日中、部屋の片付けと日本帰国のためのパッキングをした。3月20日に、特大スーツケース4個をもって帰国する。日本に郵送するものはない。片付けは3月に入ってから始めたけれど、帰国直前まで利用するものも多いのでまだまだ終わっていない。午前中は、近所に住むお友達に不要なものを引き取りに来てもらった。調味料や食材の残り、雑貨などを引き取ってもらった。ありがたい。

スーツケースの重さは一つ30キロまで可能なので、合計120キロの荷物だ。10月の一時帰国の時にもスーツケース2個分の荷物を持って帰ったので、本帰国の今回もなんとか4つのスーツケースでいけそうだ。ここでの荷物を、日本に持って帰るもの、人にあげるもの、寄付するもの、捨てるものに分けた。出発当日の朝に、近所のお友達が寄付するものを引き取ってくれるという。こういう親切がありがたい。

このジュネ-ヴでは、家族はみんな数少ない服をローテーションで着ていたので、ヨレヨレになったり破れた服は捨てて帰るつもりだ。私も子どもたちも同じ服のローテーションに飽き飽きしている。帰ったらデパートで爆買いしようと思う。

Ecole Jacques-Dalphin (13 mar, jeudi)

今日は長女のクラスで少しだけ時間をもらって、お別れ会をしてもらった。10月の一時帰国の時に買ってきた100均グッズや折り紙、お菓子を詰めて、子ども達と先生に渡した。長女の4Pのクラスには20名の生徒がいる。担任の先生はとても評判のよい先生で、クラスマネジメントが非常にうまい。生徒はみんな仲が良くてクラスの雰囲気もよく、フランス語が未だによくわからない長女もクラスに溶け込めていた。

8月後半から新学期が始まったのだけど、もちろん、最初から良い雰囲気なのではなかった。3者面談はこれまでに2回してもらった(しかも1時間以上、日本語通訳付きで!)。最初は、長女はクラスにあまり溶け込めなくて、また下のクラスのわんぱくな子ども達からからかわれることもあって、辛いことも多かったようだ。でも、「からかわれている」ことを先生に伝えると、すぐに対処してくれた。しかも、フランス語がわからなくてすぐに手が出てしまう長女を一方的に悪者にするのではなく、ちゃんと両者の言い分を聞いてから対応してもらえたのはありがたかった。トラブルは最初のほうだけだったように思う。それ以降は学校に行き渋ることはなく、とても楽しそうに学校に通ってくれた。これは、親にとっても救いだった。

担任の先生のお友達が日本語を勉強しているとかで、日本人の長女のことを最初から気にかけてくれた。最初に感動したことは、靴箱に貼っている生徒の名前にカタカナをつけてくれたことだ。長女が友達の名前をなかなか覚えられないということで、このような配慮をしてくれた。また、クラスでは日本の料理を扱ったフランス語の歌などを取り上げてくれて、長女がクラスに溶け込めるように尽力してくれた。

保護者を交えたアクティビティもあって、私たちは2回参加した。1回目は日本の文化を紹介するということで、夫が日本語の文字と歌(おはなしゆびさん)の紹介をした。2回目は子ども達の制作に保護者が参加した。私は折り紙を担当した。私の練習不足でなかなか上手にできなかったけど、手裏剣や鶴などを一緒に折った。こういうアクティビティがあったということもあり、私たち親も生徒達に認識されて、親しみを感じてもらえたようだ。

以上のことから、長女に関しては現地校に行かせてとてもよかったと思う。フランス語にはまだまだ課題はあるけれど、長女はフランス語の特別クラスもとても楽しんでおり、先生も大好きなようだった。長女は文章は話せないけどいくつかの単語は覚えられたし、耳もフランス語の発音に慣れたので、これからちゃんと文法などを学ぶと少しずつ話せるようになると思う。日本に帰ったらフランス語を勉強したいようなので、私も一緒に勉強したいと考えている。

一方、次女のほうは少し大変そうだった。長女のようにクラスに溶け込めたとはいえず、最後まで学校に行きたがらないことが多かった。長女がお友達から手紙などをもらったり日本への帰国を悲しがってくれたりしているのを目にして、自分にはそういうことがないということにも傷ついているようだ。これにはいくつか要因があるように思う。第一に、子ども達の成熟さの問題。情緒が安定してお友達を大事にして気遣いができて・・・というのは非常に高度なスキルだ。どの国であっても、いわゆる「就学前」の子どもに高度な感情マネジメントを求めることは難しい。

第二に、先生のクラスマネジメントの問題。次女の2Pのクラスには2人の担任がいて、月火と木金は別の先生が担当する。次女はとりわけ月火の先生が苦手なようだった。長女の担任の先生のような配慮はなかった。長女のクラスや次女の1Pの時にあったように、「日本の文化を紹介して」という依頼もなかった。しかしこれは、長女の先生がとりわけよい先生で、次女の先生のほうが普通なのだとは思うけれど。だた1Pの先生のほうが次女も好きなようだったし、先生のよっていろいろと違いがあるように思う。とにかく、先生の影響力はとても大きい。

第三に、フランス語の問題。長女は特別クラスでフランス語を教えてもらったが、次女の学年ではそのような配慮はなかった。ここスイスでも次女の学年まで(1P-2P)はまだ文字や算数を学ぶことはせずに、日本の保育園のように、集団生活に慣れることに主眼があるようだ。この言語のことに関しては、私も反省はしていて、一緒に勉強するなどすればよかったと思っている。ただ、次女もフランス語を学ぶ意欲はあるようなので、帰国したら次女のためにもフランス語の先生を探そうと思っている。

第四に、性格の問題。長女はとてもフレンドリーな性格で、どこに行ってもすぐに友達を作ることができるタイプだ。感情表現がストレートで物怖じせずに、自分の意思をはっきりと示すタイプだ。一方、次女は思慮深く完璧主義で、周りに気を配って考えて行動するほうだ。思いやりもあり、日本では仲が良い友達も多くてみんなに好かれていたし、日本の保育園ではトラブルなんてなかった(長女はけんかも多かったけど)。小さい頃から日本語でおしゃべりすることが上手だ。だからこそ、ここスイスの学校ではうまく溶け込めなかったのではないかと思う。欧州の文化というか、みんなで思いっきり騒いで遊ぶ、ということになかなか参加できなかったのだと思う。クラスのなかでも、みんなで本を読んだり歌を歌ったりする活動に参加せず、一人で遊んでいることも多かったようだ(このことについて、先生から注意を受けることもあった)。

親なりの声かけはしたのだけど、このような性格に起因する行動パターンについては、無理に変えることは当然できない。ただし、休み時間に遊んでくれる年上の友達ができたこと、ランチサービスの先生がとても優しくしてくれたことなどもあった。それに、次女はジュネーブを恋しがって「日本に帰りたくない」と言う。彼女なりにここでの生活を楽しんでいたのだと思う。

以上のように、いろいろと課題はあるが、学校には概ね満足している。次のサバティカルでは現地校は無理だと思うので、小学校低学年で現地校に入れられてよかったと改めて思う。