My Life in Geneva

ジュネーブ滞在の記録(2024年4月~2025年3月)

カルージュのwelcome tour(20 avril, samedi)

土曜日、カルージュが開催するwelcome tourに参加してきた。

午前10時にカルージュのタウンホール(Mairie de Carouge)に集合。約20人くらいの人が集まっていた。何人かガイドがいて、いくつかのグループになって街中を散策した。私はフランス語がわからないので、英語を話せるガイドの人(Chrisさん)がつきっきりになって説明してくれた。12時過ぎまで2時間超、カルージュ内を歩いた。Chrisさんは、カルージュの歴史や政治から、学校、公園、プール、図書館のことなど、生活に必要なあらゆる情報を提供してくれた。このツアーは年に2回開催されるということで、4月のこの時期に参加できて、とてもよかった!Chrisさんによると、今回のツアーにはウクライナとトルコからの難民の集団がいたとのこと。カルージュはリベラルなところで、移民や難民を多く受け入れているそうだ。

Mairie de Carouge

カルージュの政治について。カルージュの議会は33人の議員で構成されていて、5年に1回、議員選挙がある。議員のなかから3人のCONSEIL ADMINISTRATIF(行政委員)が選ばれて、そこから市長が選ばれるとのこと。今の市長はRaffaele Fraomeneさんで、ツアーの最初に市長の挨拶があった。

カルージュの歴史について。カルージュはアルヴ川のほとりに位置しているため、ローマ時代から、南方(イタリア)からジュネーヴとその向こうのスイス平原に向かう商人たちが行き交う重要な交差点であった*1。中世以降、カルージュは現在のイタリアとフランスにまたがって存在したサヴォイア(Savoie)公国の支配を受け、14世紀以降に強まったジュネーブ市民とサヴォイア伯との対立の地でもあった。1754年のトリノ条約でジュネーブサヴォイア公国の間に停戦協定が結ばれ、カルージュはサヴォイア公国支配下に入った。その後、1792年のナポレオンのイタリア遠征の機にカルージュはジュネーブとともにフランスのレマン県に併合された。カルージュがジュネーブ州の一部になるのは、1816年のトリノ条約である。サヴォイア伯はカトリックだったけれど、プロテスタントユダヤ人などの多様な宗教を受け入れ、宗教の自由が実践されていたという。その証拠に、カルージュには教会だけでなく、様々な宗教施設がある。

カルージュには、至るところに公園がある。例えば、ルイ・コティエ公園(Parc Louis Cottier)、夏には大きな噴水があり、夜はイルミネーションが楽しめるのだそう。他にも、カルージュ博物館、3つあるシアター、図書館、児童館(Ludothèque de Carouge)、ウォータースライダーのある公営プール(The pool of Carouge Fontenette)、リサイクルショップ(Emmaüs Genève)など、行ってみたいところがいっぱい。はっきり覚えていないけど(情報過多ですべて覚えられなかった・・・)、おもちゃを借りられる図書館があったり、要らなくなった本をやりとりできるボックスがあったり、リサイクルポイント(ペットボトルや瓶だけでなく、衣類も)、イタリア建築を感じられる場所だったり、音楽学校やダンススクール、いろんなところを案内してもらった。

公園で無料で受けられるフランス語レッスンがあるということを教えてもらった。7月1日から12日まで。フランス語レッスンについては、大学のものも検討中なので、ちょっと考えてみよう。

カルージュからアルヴ川を超えるとジュネーブ市になる。すぐ近くなんだけど、街の雰囲気がガラッと変わる。カルージュは建物も低く、町並みも落ち着いている。まだ少ししか滞在していないけど、カルージュが気に入った!カルージュについて、これからもっと調べてみようと思う。

Maison de Quartier:ツアーの終着地点

*1:カルージュの地名は、ラテン語の「carrefour」(十字路)に由来している。